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    昔がたり-上海物語

    2011'05.21 (土)

    上海物語(5)

    カキツバタ私の母は、上海育ち。
    母が小学生のとき、
    父親(私には祖父)の仕事の関係で、
    一家は中国に渡った。
    そして中国人の友人のおかげで、
    生きて日本に帰ってきた。

    今も、母は、大陸気質そのものだ。
    イキがいいというのか、無鉄砲というのか。
    (正直、そばにいて疲れるほど
    ショバの元締めにも堂々と渡り合い、
    半端な男には啖呵を切る。
    (あ、その道の人間ではないですよ
    このくそ度胸で、父と2人
    本当に何も無いところから、日本を積み上げてきたのだ。
    (戦後の思い出語りは、また後日
    カキツバタ
    国交回復した中国の、
    上海の町並みがテレビに映ったとき、
    母は静かに「あぁ。」と言った。
    60歳代の頃、姉弟で
    上海を訪ねようという話があったが、
    母は、乗り気にならなかった。
    やっと落ち着いた生活を、大切に生きている。
    「人生に、反省はあっても、後悔は無い。」と。
    80歳の今、この人に、もう苦労は必要ない。

    NHKの朝ドラ「おひさま」が伝えようとすることの一部が、私にはわかる気がする。
    戦中のせつなさ、戦後の苦しさは、たぶん今の不景気どころではなかっただろう。
    でも、あの時代、あの人たちは、文句を言わなかった。
    カキツバタ今、世代間対立をあおる一部の為政者の逃げ口上に、
    私たちは、操作されてはいけないと思う。
    責任転嫁の矛先を探している暇があったら、
    自分たちの力で、時代を前に進めなくては!

    お父さんも、お母さんも、何はばかることなく
    今、老後をゆっくり暮らす権利があるんだよ。
    長生きしてね。できるだけ、健康でね。
    それを支えるのは、私のつとめです。

    (おわり)
    年取った母の思い出の聞き書きです。
    記憶違いや昇華された部分もあるかと思います。
    各位、失礼の段がありましたら、ご容赦ください。
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    昔がたり-上海物語

    2011'05.20 (金)

    上海物語(4)

    ピー どうしてるかな私の母は、上海育ち。
    母が小学生のとき、
    父親(私には祖父)の仕事の関係で、
    一家は中国に渡った。

    海外在住者には、
    日本の現実が、かえってよく見える。

    上海の日本租界で、
    家族ぐるみでお付き合いしていた
    中国人の友人が、あるとき、
    父親に忠告してくれた。
    「○○さん、日本はもう負けるよ。
    決定的になってからでは遅い。
    今のうちに家族を祖国に帰しなさい。」

    そうして
    母親(私にとっては祖母)と3人の子どもは、
    (爆撃でなかなか進まない)鉄道で、上海から満州経由で釜山へ、
    機雷のひそむ玄界灘を渡って下関に上がり、空襲の東京をくぐりぬけ、
    ぼろぼろになって、それでも終戦前に故郷にたどり着いた。

    中国残留孤児の問題は他人事ではない。
    よくぞそのタイミングで帰ってきてくれたと思う。
    命の恩人である中国の友人は、無事生き残れたのだろうか。

    (つづく)
    年取った母の思い出の聞き書きです。
    記憶違いや昇華された部分もあるかと思います。
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    昔がたり-上海物語

    2011'05.19 (木)

    上海物語(3)

    雑草だけどきれいです私の母は、上海育ち。
    母が小学生のとき、
    父親(私には祖父)の仕事の関係で、
    一家は中国に渡った。

    日本租界で暮らしていて、
    子どもが危険なめにあう事はなかったが、
    上海は、直前まで戦闘があった土地、
    通学路には、シャレコウベがいっぱい落ちていた。
    「あごのあるのは新しいの。」
    無邪気に蹴飛ばして小学校へ行った。
    (私はその部分に関しては、聞いていて、
    いたたまれない気持ちになる。)

    学校行事の兎狩り。
    広い草原で子どもたちが輪になって、
    草を棒でたたきながら、少しずつ輪を狭めていくと、
    兎が追い詰められて小学生の頭を飛び越して逃げる。
    草原でも、人骨をたくさん見た。
    楽しいひと時と、隣り合わせの戦争。

    「月の無い夜は、特に大きな声で挨拶をしなさい。」
    と子どもたちは教わった。 租界は事実上無法地帯だ。
    正体がわからないまま近付いてきた者を、撃ってもさして問われない。

    時々、学校行事で、日本軍施設の慰問もあった。
    長い外地暮らしだから、子どもたちも軍人さんも、郷愁を分かち合う。
    白いマフラーを巻いた青年が、戦闘機の操縦席に乗せてくれた。
    きれいな目をした、よい若者たちだった、と母が言う。
    みんな、帰ってこなかった、と。

    (つづく)
    年取った母の思い出の聞き書きです。
    記憶違いや昇華された部分もあるかと思います。
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    昔がたり-上海物語

    2011'05.18 (水)

    上海物語(2)

    やっと芽が出ました私の母は、上海育ち。
    母が小学生のとき、
    父親(私には祖父)の仕事の関係で、
    一家は中国に渡った。

    中国には、お月見を派手に楽しむ習慣がある。
    中秋の名月には、2頭立ての馬車に乗って、
    上海のイギリス租界の中国料理店(?)まで、
    一家でご馳走を食べに行った。
    大きな月餅を積み上げて、
    豚1頭がテーブルに乗る。
    蒸しおこわ。赤や黄色の肉饅頭。
    中国野菜のあんかけ料理が山盛り。

    お正月は旧暦。
    お歳暮に、生きた豚(1、2頭)や鶏(20羽ほど)が、紐にくくられてやってくる。
    中国人の板前さんが裏木戸から入ってきて、取り分1割で、さばいて行ってくれた。
    普段、中国人はご馳走を中庭で食べる。
    よそに聞こえるように、大勢で騒ぎながら食べる。
    でも、お正月だけはなぜか、軒並み、雨戸を閉めて出てこない。
    中で何をやっているのか?
    数日して扉が開くと、みんな丸々太って、外にころがり出て来た。

    (つづく)
    年取った母の思い出の聞き書きです。
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    昔がたり-上海物語

    2011'05.17 (火)

    上海物語(1)

    畑の隅に春菊の花が…私の母は、上海育ち。
    国交回復した中国の、
    上海の町並みがテレビに映ったとき、
    母は静かに「あぁ。」と言った。

    母が小学生のとき、
    父親(私には祖父)の仕事の関係で、
    一家は中国に渡った。
    上海は貿易都市で、モダンな町だった。
    租界があり、外国人がいっぱいいた。
    父親の交友範囲も中国人、
    イギリス人、アメリカ人、ロシア人、その他。

    家にはインド人の守衛さんと、
    中国人のメイドさんがいた。
    当時、満州と違って上海は、一応、中国人の主権国家「中華民国」の一部。
    隣人として、現地の人とも普通にお付き合いができた。
    母に見えていた範囲のこと、ではある。

    日本租界の女学校では、中国語の授業があった。
    先生は、中国人の特権階級のお嬢さんが、びかびかのチャイナドレスでやってきた。
    いつの時代も、女学生はいたずらが大好きだ。
    「ネンチンプーライ、ネンチンプーライ!」みんなではやし立て、
    クーニャン(中国娘)は顔を真っ赤にして怒り、授業をやめて帰ってしまう。
    女学生たちはそれが目当てで、何度もやった。
    悪口を言うとき、母は今も、時々中国語を使う。
    「マーラカッピソーニー!」相当汚い言葉らしい。
    何を言っているのか、相手にはわからないからね。

    (つづく)
    年取った母の思い出の聞き書きです。
    記憶違いや昇華された部分もあるかと思います。
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